Research Performance
研究実績
近視進行抑制の臨床研究 – 研究紹介
筑波大学では平岡孝浩講師,木内岳医員が中心となって近視進行抑制の臨床研究を進めています.いくつかの研究は非常に有意義な結果を得ており,世界に広く発信しております.また研究結果を応用した新しい治療レンズの開発を行い特許申請中です.現在も複数の単独および多施設共同研究が進行しており,この領域においては国内のみならず国際的にもフロントランナー的な活動をしていると自負しております.近視進行抑制療法の確立は世界的にも最重要かつ急務の課題であり,将来的なquality of vision,quality of lifeを守るという観点のみならず,医療経済的な観点からも研究者が総力を挙げて取り組むべきテーマです.社会的な意義は計り知れず,我々大きな使命を感じつつ日々この課題に取り組んでおります.以下に研究背景と我々の活動内容について概説しますので,興味のある方は御一読ください.
世界的な近視人口の急増
本邦の平成29年度学校保健統計調査によると,「裸眼視力1.0未満の者」の割合は,小学校32.5%,中学校56.3%,高等学校62.3%で,10年前と比較すると小学校4.4%増,中学校5.2%増,高等学校6.9%増となっており,学童期の近視は全般的に増加傾向であることが確認されています.また,学校検診において視力「不可」と診断される「裸眼視力0.3未満の者」については,小学校8.7%,中学校26.5%,高等学校33.9%と報告されており,ここ10年間で小学校2.2%増,中学校6.1%増,高等学校7.8%増となっています.これらの結果から,本邦では単に近視の頻度が増加しているだけでなく,重症化も進んでいることが読み取れます.また,日本を含む東アジアにおいて近視の有病率(80%超)が極めて高いことが知られていますが(上図;Dolgin E. Nature. 2015より引用),最近では欧米でも急増しており(Vitale S, et al.Arch Ophthalmol. 2009),世界的な近視人口増加は疑いようがありません.最新の論文では2050年までに世界の近視人口は約47.6億人(全人口の49.8%),強度近視は9.4億人(全人口の9.8%)に達すると試算されており(Holden BA, et al. Ophthalmology. 2016),近視関連眼疾患の急増が懸念されています.
近視関連眼疾患と予防法の意義
近視の進行は非可逆的であり,社会的に活動性の高い年齢層が冒されることから,近視であること自体がquality of life(QOL)の低下に繋がるものと考えられています.加えて,医学的には,強度近視に伴う網膜剥離,近視性網膜症,近視性黄斑変性症,緑内障あるいは白内障などのリスクが増すことで(Flitcroft DI. Prog Retin Eye Res. 2012),より重篤な眼疾患の合併も懸念されます.厚労省平成17年度研究報告書によると失明者(視覚障害1級)の原因疾患の6.5%は病的近視であり,緑内障,糖尿病網膜症,網膜色素変性に次ぐ第4位です.他の本邦疫学調査でも変性近視や近視性黄斑変性は中途失明原因の1~3位を占めることが報告されています(Yamada M, et al. Ophthalmic Epidemiol. 2010)(Iwase A, et al. Ophthalmology.2006).WHOも世界における失明5大原因の一つとして病的近視を掲げております.
しかし,近視の発症・進行については詳細なメカニズムが未だ解明されてないのが実情です.近視の進行が急激に進むと考えられる学童期において,近視の進行を抑制することができれば,青年期以降の社会活動におけるQOLが維持できるだけでなく,重篤な眼疾患による失明のリスクを軽減できるものと考えられ,学童期における近視進行の予防法の確立は,社会的にも重要な課題です.従来から,トロピカミド,アトロピンなどによる薬物療法,累進眼鏡などの眼鏡着用,オルソケラトロジーや多焦点コンタクトレンズあるいは視力回復訓練など様々な方法が試みられており,いまも近視進行予防法の確立に向けて研究が続けられています.
アトロピン点眼による近視進行抑制
過去に報告された手法の中で最も効果が強いのは1%アトロピン点眼による薬物療法ですが(Chua WH, et al. Ophthalmology. 2006),散瞳と調節麻痺作用が強く現れるため羞明や近見障害を生じてしまい,学童へ継続使用するには侵襲が大きすぎました(この研究はAtropine for the treatment of myopiaの頭文字を取ってATOMスタディと呼ばれています).その後,同研究グループから低濃度(0.01%)のアトロピン点眼においても有意な近視進行抑制効果が得られることが報告され,副作用も極めて少ないことから,近視進行予防薬として使用できる可能性が示唆されました(ATOM 2スタディ)(Chia A, et al. Ophthalmology. 2012).しかし,アトロピン点眼に関する報告は上記のシンガポールのグループからに限られており,世界で広く検証されたとは言えません.そこで日本人において低濃度アトロピン点眼の近視進行抑制効果を確認しようという目的でATOM-Jスタディ(JはJapanの頭文字から)が多施設共同研究として全国7大学(京都府立医科大学主導)で進行中です.もちろん筑波大も参加しており,間もなく2年間の前向き研究がほぼ終了しようとしております.2019年の春には全施設の解析結果が公表される予定です.ちなみにアトロピンの近視進行抑制メカニズムに関しては,光学的作用や調節を介する作用ではなく薬理作用が主体と考えられていますが,詳細なメカニズムは解明されていません.
軸外収差補正眼鏡による近視進行抑制
近年の研究により(詳細は割愛),近視の進行には軸上(視軸上)のピントよりも軸外(視軸から外れた周辺部網膜)のピントが重要な役割を担うという理論(軸外収差理論)が広く支持されるようになりました(Smith EL 3rd, et al. Invest Ophthalmol Vis Sci. 2005).通常の眼鏡レンズやコンタクトレンズの矯正では,周辺部(軸外)において網膜よりも後方の結像点を生じてしまうため(周辺部遠視性デフォーカス),眼軸長の伸長(軸性近視の進行)が促進されてしまいます.そこで周辺部に累進屈折力のデザインを施すことによって周辺部遠視性デフォーカスを補正する眼鏡が開発されました(MyoVision,カールツァイス).本眼鏡レンズの日本人学童に対する有効性を検証する行うことを目的に,2011年2月から全国7大学で多施設共同臨床試験が開始され,筑波大学も参加しました.合計207人が登録され2年間の前向き研究が実施されましたが,残念ながら対照群と比較して有意な近視進行抑制効果は認められませんでした.本研究の詳細については論文化されているので興味のある方は御参照ください(Kanda H, OshikaT, HiraokaT, et al. Jpn J Ophthalmol. 2018).この理由に関しては,眼球運動の影響で、軸外収差補正の効果が十分得られなかったことが原因として推察されています.また個々人によって遠視性デフォーカスの程度が異なるので,個々の状態にカスタマイズした眼鏡を使用することで再検証する必要性が提唱されています.
オルソケラトロジーによる近視進行抑制
光学的アプローチによる近視進行抑制法としてオルソケラトロジーが近年注目されています.オルソケラトロジーとは,特殊なデザインを持ったハードコンタクトレンズを計画的に装用することにより角膜形状を一時的に変化させて近視や乱視を矯正する手法であり,近年では夜間就寝時のみにレンズを装用するオーバーナイトオルソケラトロジーが主流となっています.本法により十分な矯正効果が得られれば,昼間の矯正用具は不要となり裸眼での生活が可能となります.手術の要らない革新的な近視の矯正治療法として近年注目されており,装用を中止すれば角膜形状や屈折を元の状態に戻せる(可逆性)という利点も有します.アトロピンが散瞳や調節麻痺に伴う視機能低下を代償としているのに対して,オルソケラトロジーは裸眼視力を向上させQOLを高める効果が期待できる点も強みです.我々は日本人を対象とした非ランダム化臨床試験を行い有意な眼軸伸長抑制効果を確認しました(Kakita T, HiraokaT, et al. Invest Ophthalmol Vis Sci. 2011).
また観察期間を5年間に延長した検討においても眼鏡対照群と比較して約3割の眼軸長伸長抑制効果が得られていることを確認しました(Hiraoka T, et al. Invest Ophthalmol Vis Sci. 2012).2012年にはさらにエビデンスレベルの高いrandomized clinical trial(RCT)の結果も香港から報告されております(Cho P, et al. InvestOphthalmol Vis Sci. 2012).2015年には最もエビデンスレベルの高いメタ解析研究の結果が4編(Li SM,et al. Curr Eye Res. 2015)(Sun Y, et al. PLoS One. 2015)(Si JK, et al. Optom Vis Sci. 2015)(Wen D, et al. J Ophthalmol. 2015)立て続けに報告されました.いずれもオルソケラトロジーは学童期の近視進行を有意に抑制するという結論に至っており,数ある近視抑制法の中で最もエビデンスレベルは高いといえます.最近我々はオルソケラトロジー10年継続症例の安全性と近視進行抑制効果についてソフトコンタクトレンズ装用者との比較を行い,オルソケラトロジーの長期にわたる近視進行抑制効果と安全性を確認し報告しました(HiraokaT, et al. Ophthalmic Physiol Opt. 2018).
オルソケラトロジーの近視進行抑制メカニズムですが,治療後の角膜形状がoblate形状になること,すなわち周辺部の角膜形状が急峻化するため,遠視性デフォーカスが改善し,近視の進行が抑制されると考えられています.
多焦点ソフトコンタクトレンズによる近視進行抑制
多焦点ソフトコンタクトレンズ(SCL)による近視進行抑制効果の報告も近年増えており(Fujikado T, et al. Clin Ophthalmol. 2014)(Anstice NS, et al. Ophthalmology. 2011)(Sankaridurg P, et al. Invest Ophthalmol Vis Sci. 2011),オルソケラトロジーに匹敵する効果が確認されています.しかし,いずれの多焦点SCLも異なったデザインが施されており,近見の加入度数も異なっています.周辺部の屈折が中央と変わらないレンズも含まれており,数年来最も支持されてきた軸外収差理論による周辺部遠視性デフォーカスの改善効果だけでは,各SCLの近視進行抑制メカニズムを一元的に説明できません.どのようなデザインが最も効果的であるのか?に関しては今後さらなる研究が必要です.現在,筑波大学では低加入度多焦点SCLの多施設共同RCTを京都府立医科大学とともに実施している最中です.本研究にはまだ2年以上を要しますが,低加入度でも有意な近視進行抑制効果が得られるとなれば学童にとっては大きな福音となるはずです.なぜなら高加入度レンズでは高次収差の増大が避けられないため,QOVの低下により装用を継続できない症例も十分に予想されるためです.本研究に関しても有意義な結果が得られることを期待しております.
さらに次のステップとして,多焦点レンズの近方加入度数の増減により,近視進行抑制効果はどのように変化するのか?という命題に対しても,RCTを計画中であり,2019年度のスタートを目標として鋭意準備中です(某社Aとの共同研究).
光学的アプローチと低濃度アトロピン点眼の併用療法
最新情報として光学的アプローチと低濃度アトロピン点眼との併用療法について紹介したいと思います.まだ1年間の中間報告ですが,オルソケラトロジーと0.01%アトロピン点眼の併用療法がオルソケラトロジー単独療法よりも眼軸長の伸びを53%抑制したという衝撃的な報告がなされました(Kinoshita N, Jpn J Ophthalmol. 2018).オルソケラトロジー自体が眼軸長伸長を抑制する効果に加えて,アトロピン点眼を併用することによりさらに5割増しの抑制効果が上乗せされると考えられ大変興味深い報告です.まだ学会報告のレベルではありますが中国からも類似の報告が発表されており,これらの併用療法は極めて強力な効果を発現する可能性が期待されています.相加効果発現のメカニズムに関しては不明ですが,アトロピン点眼により瞳孔径が軽度拡張するため,光学的なメリットをより受けやすくなる可能性や脈絡膜厚の肥厚による眼軸長過伸展抑制効果などが示唆されています.
上記の併用療法に関連して,現在我々は多焦点SCLと低濃度アトロピン点眼の併用療法が近視進行に及ぼす影響に関してRCTを準備中であり,2019年にはトライアルを開始できる見込みです(某社Bとの共同研究).多焦点SCLに関しても低濃度アトロピン点眼との相加効果がみられるか否か大変興味深く,研究結果が待たれます.
近視進行抑制効果メカニズムの解明
近年広く支持されているのは軸外収差理論ですが,前述のように本理論で説明できない事象も多いです.以前我々が行った研究では,オルソケラトロジー治療中の学童において,高次収差の増加と眼軸長伸長との間に有意な負の相関が認められました.つまり高次収差の増加が大きい症例ほど眼軸長が延長しなかったという関係が見出されました(HiraokaT, et al. Ophthalmology. 2015).他の研究でも同様の相関が確認されており(前川ほのか,他.視覚の科学.2017)(吉村綾乃,他.視覚の科学.2018),高次収差と近視進行の関連が一つのトピックスとなっています.
さらに我々の最新データにおいて,通常の単焦点眼鏡を装用している6~12歳の近視学童の屈折,眼軸長,高次収差の変化を2年間追跡調査し64症例の結果を解析したところ,近視進行(眼軸長伸長)と高次収差との間に著しく高い負の相関が存在することを発見しました.つまり高次収差が大きい眼球の方が近視が進行しにくいという関係が如実となったわけです(Hiraoka T, et al. Sci Rep. 2017).
高次収差は偽調節量の増加や焦点深度の拡大に寄与し,結果として調節負荷を軽減するため眼軸長の伸長が抑制される可能性が示唆されております.新しい仮説ではありますが,もちろんこの証明にはさらなる検討が必要であると考えております.いずれにせよ,近視の発生や進行のメカニズムは極めて複雑で一元的に説明できない事象も少なくありません.多要因が複雑に絡み合っているうえに個々の眼球においてもバリエーションが多いことが,その解明をいっそう困難にしていると考えられます.
アフリカ人の近視と高次収差
アフリカ人は近視が少ないことが知られていますが,高次収差の分布や近視との関連は検討されておりません.我々は土浦協同病院なめがた医療センターの浅野宏規医師と共同でアフリカ人学童の高次収差に関する研究を進めております.本研究は金沢医科大学(代表:佐々木洋教授)が行ったタンザニアでの疫学調査の部分研究として進められている多施設共同研究です.現在,データ解析および論文作成中ですが,タンザニア学童の高次収差は日本人より大きいことが分かり,非常に興味深い結果だと考えています.近視進行との関連についてはさらなる検討が必要ですが,高次収差が近視進行に対して抑制的に働くという知見がglobalに証明されるかもしれませんので,さらに詳細な検討を進めていきたいと考えています.
近視進行抑制を目的とした高次収差制御ソフトコンタクトレンズの開発
既に得られた結果から,近視進行抑制に有効に働く収差成分や収差量を算出し,これらをSCLに意図的に組み込むことにより,学童の近視進行抑制へ応用する試みを行っています(文部科学省科学研究費補助金基盤(C)取得:平成28~30年度「高次収差解析による近視進行コアメカニズムの解明と新理論に基づく近視抑制CLの開発」).デザインの詳細については国際特許を申請中であり,本レンズの幅広い臨床応用を目標としております.まだ越えなければならない壁はいくつかありますが,近視学童に有益な進行抑制手段を届けるべく日々努力していく所存です.